2005年07月23日

新聞記事 2005/7/15、7/16

赤旗(日本共産党機関紙)の国際面で、2005年7月14日から20日まで連載された「過去と向き合う ドイツの場合」(全7回)の中で白バラが紹介されていました。

■一部引用

2005/7/15 【2】抵抗運動 裏切り者から良心の証へ
ミュンヘンの白バラについてと、マリールイーゼ・シュルツヤーン(87)さんが語る「白バラの生き残り」の戦後について。白バラ記念館の展示パネルの写真が載っています。

『ミュンヘンのルードヴィヒ・マキシミリアン大学の構内にナチス・ドイツに対する抵抗グループ「白バラ」の記念館があります。同大学の学生六人が処刑されました。いまはドイツ人の良心のあかしとして知られていますが、敗戦直後には「祖国の裏切り者」と非難すらされました。市民の運動がこの評価を改めさせました。』
『戦後、白バラの生き残りの人たちを待っていたのは冷たい仕打ちでした。実刑を受けた学生は元の大学に復学することも許されませんでした。多くの元活動家が黙らざるを得なかったのです。その一人、マリールイーゼ・シュルツヤーン(87)さんは「ナチ時代の政治裁判、民族裁判所の判決が有効とされたため、復学できませんでした。戦後よく裏切り者といわれ、自分の体験を語れるようになるまで三十年以上かかりました」と語ります。』


2005/7/16 【3】反ナチ 兄妹の志、語り継いで
「白バラ」支持者シュルツヤーンさんに聞く、という題で、白バラのビラが人々に与えた衝撃、ショル兄妹とクリストフ・プロープストの処刑後にビラをタイプし友人らに配ったこと、フーバー教授の家族への募金活動をしたこと、などについて書かれています。

『1943年2月のことでした。私は恋人のハンス・ライペルトとミュンヘンのルードヴィヒ・マキシミリアン大学で化学を学ぶ学生でした。(略)私たちは白バラが何なのか最初は知りませんでした。しかし、その後、ビラをライペルトが受け取り、白バラの活動を知りました。(略)ライペルトと私は誰にも知られないように、以前受け取ったビラをタイプし、化学実験室で学友に配りました。(略)ショル兄妹に影響を与えたとして、医学部のクルト・フーバー教授も逮捕されました。大学を解雇され、子どもが二人いるのに収入がなくなりました。私たちは教会で募金活動をし、そのお金を奥さんに手渡しました。しかし、この活動が密告されたのです。』


白バラを紹介する新聞等の記事は時々見かけますが、ライペルトと化学研究所の学生たちについての記事というのは初めて見ました。

化学研究所の学生たちについて詳しく書かれているのはC・ペトリの「白バラ抵抗運動の記録」(未来社)です。「ミュンヘン及びハンブルクにおける白バラの最期」にマリールイーゼ・ヤーンの名前があります。

また、2005年5月から2006年5月まで日本各地を巡回している「白バラ展」にはハンス・ライペルトのパネルもありますので、これからご覧になる方はぜひ、彼の解説文も読んでみてください。


公共図書館リンクから各都道府県立図書館のサイトで蔵書横断検索や新聞・雑誌総合目録検索を使って所蔵図書館を探すことができます。(一般紙ではないので見つけにくいと思いますが・・・)


posted by くみ at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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