2013年04月29日

ペルラッハ・フォルスト墓地(1)

2013年2月22日(金)、ミュンヘン東駅で柵を見たあと、S-Bahn(S3)でGiesingまで行き、路面電車トラム17に乗り換えて終点Schwanseestraßeへ。

2013年ミュンヘン 路線図  2013年ミュンヘン 路線図

路線図2種類。左は東駅OstbahnhofからSchwanseestraßeまでを、右はGiesingからSchwanseestraßeまでとペルラッハ・フォルスト墓地Friedhof am Perlacher Forstを確認できます。
(トラム17はミュンヘン中央駅とカールスプラッツを通る路線なので、中心部からは乗り換えなしでSchwanseestraßeまで行くことができます。)

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

SchwanseestraßeとStadelheimer Straßeの交差点。右の路線図でもわかりますが、この墓地のとなりにはシュターデルハイム刑務所があります。彼らはここで処刑され、となりの墓地に埋葬されたわけですね。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

路面電車の停留所から一番近い入り口。月によって違う開門時間が細かく書いてあります。11月から2月は8:00-17:00。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

墓地内の案内図(左上の赤い矢印が現在地)。埋葬されている著名人とその墓所番地リスト。
クリストフ・プロープスト、アレクサンダー・シュモレル、ハンス・ショル、ゾフィー・ショル、ハンス・ライペルト、ハラルト・ドールン、Hans Queckeの名前があります。ハラルト・ドールンはクリストフ・プロープストの義父で、「1945年4月29日、連合軍がミュンヒェンを占領する数時間前、百五十人の政治犯と共に、ペルラッハの森で銃殺された」(山下公子『ミュンヒェンの白いばら』筑摩書房、1988)。Hans Queckeとハラルト・ドールンは義理の兄弟で、彼も白バラに関係していたそうです。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

反ナチス抵抗運動グループ「白バラ」関係者であるゾフィー・ショル、ハンス・ショル、クリストフ・プロープスト、アレクサンダー・シュモレル、ハラルト・ドールン、Hans Queckeのお墓の場所は、すぐに見つけられるよう黄色い丸印がつけられていました(雪が降る中、墓地の端から端まで歩かねばならないことが判明して一瞬、目眩が・・・)。感謝。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst


案内図の向かい側にあった、赤いガラス容器入りロウソクの販売機。カメラのシャッターを押したあとは素早く手袋をしないと指が動かなくなるほどの寒さだったので、小銭を取り出して投入、は無理でした。夏シーズンに来ることがあれば、そのときには買ってみます。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

ということで、遙か彼方にあるハンスたちのお墓を目指して歩き始めました。

写真が多いので分割します。続きは(2)で。
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2013年04月23日

2013年2月20日(水) ミュンヘン東駅の新聞記事

2月20日の新聞に、1942年7月23日にミュンヘン東駅で写された写真が載っていました。

2013年ミュンヘン 東駅新聞記事  2013年ミュンヘン 東駅新聞記事

東部戦線へ出発する学生中隊と見送りのゾフィー・ショル。この写真の場面は、映画『白バラは死なず』でも同じ構図で使われていました。ゾフィーの着ているカーディガンが明るい色(たしか水色)で、「えっそうなの?」と思ったのでよく覚えています。

2013年ミュンヘン 東駅新聞記事

記事の内容はわかりませんでしたが、下に載っていた、現在の同じ場所の写真を見て、この柵がまだあることを知り、行ってみることにしました。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

2013年2月22日(金)、朝7時過ぎのミュンヘン東駅、Orleansstraße。毎日雪が降っていて、朝は特に寒かったです。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

線路沿いを歩いていると広い駐車場が現れ、その出入り口を通りすぎたところからあの柵が始まりました。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

この駐車場と柵、数百メートルも続いていて、とても場所まではわからないなーと思っていたら、白バラが飾られ(?)ている柵を見つけました。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

向かい側を見ると記事にあった水色の建物があり、ここが、あの写真が撮られた場所らしいことが判りました。

2013年ミュンヘン 東駅
  2013年ミュンヘン 東駅

ご覧の通り、色が違うだけで似たような建物がずっと続いているので、あの白バラに気づかなければ、記事の写真に映っていた向かいの建物から場所を特定するなんて考えもしなかったと思います。感謝。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

数時間後のミュンヘン東駅ホーム。車内から撮ったため、思いっきりカメラと手が映り込んでますが。Orleansstraße側を写したもの。
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2013年04月19日

2013年2月20日のニュース番組

2月20日の夜、ミュンヘンローカル局と思われるチャンネルを見ていたら、また白バラについてのニュースがありました。

2013年ミュンヘン ニュース番組  2013年ミュンヘン ニュース番組

映画『白バラの祈り』でゾフィーを演じたユリア・イェンチ。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

しかも人形。何のニュースだ?とドイツ語ニュースを必死で聞いていたところ、「ベルリンのマダム・タッソー」というのだけ聞き取れました。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

左は、ミュンヘン大学のリヒトホーフ(工事中で立ち入り禁止だったはずなのに。もしかして見学できたの??)。右はおそらく、2月18日の白バラ記念館の様子。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

マダム・タッソー・ベルリン:歴史上の人物

確かにこの人形はマダム・タッソー・ベルリンで展示されているようですね。全然知りませんでした。「Sophie Scholl」となってるけど「ユリア・イェンチ@『白バラの祈り』」でしょっていうツッコミを、ちょっとだけ入れたくなりましたが、いやいや、これは嬉しいです。今度ベルリンへ行ったら見に行きます。

で、その人形がベルリンからミュンヘンに出張してきたというニュースだったのかどうか、そこまではわかりませんでした。

この記事をUPするためにいろいろ調べていたら、2013年3月15日、東京お台場にマダム・タッソー東京がオープンしたことを知りました。東京の方にはこのゾフィー人形、99%ないと思いますが。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

ショル兄妹広場にあるビラの記念碑。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

左は、ハンス、ゾフィー、クリストフの起訴状でしょうか。右は白バラ記念館にあるゾフィーの像。

2013年ミュンヘン ニュース番組


同じく記念館内部。右側に展示パネルが見えます。左側のガラス棚に、各国で出版された白バラ本が展示してありました。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

2月21日の新聞。右の新聞記事の内容は下記で読むことができます。

WELT紙:2013年2月21日 Weiße Rose: Vor 70 Jahren wurden die Geschwister Scholl in Stadelheim getötet

同じ2月21日の新聞記事。
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2013年04月16日

モニュメントなど

フランツ・ヨーゼフ通りにあるショル兄妹が(1942年の6月から、翌年2月に逮捕・処刑されるまで)住んでいた家を見に行きました。

2013年ミュンヘン シュヴァービング  2013年ミュンヘン シュヴァービング

Giselastr.駅で地下鉄を降り、レオポルト通りからフランツ・ヨーゼフ通りに入って少し歩いたところにあります。

2013年ミュンヘン シュヴァービング  2013年ミュンヘン シュヴァービング

住所はFranz-Joseph-Straße 13で、確かにここなのですが、彼らが住んでいたのはこの建物ではなく、この建物の裏というか後ろ側にある家のようです。この、通り側の建物入り口には「ショル兄妹が住んでいた」という碑があります(かなり高いところにあるので、普通に歩いていたのでは視界に入らず通り過ぎてしまうと思います)。

2013年ミュンヘン シュヴァービング
  2013年ミュンヘン シュヴァービング

次に、来た道を戻って、建築家アーケマイヤーのアトリエがあったレオポルト通りへ。白バラの学生たちが読書会や討論会に使い、その地下室でビラ製作をしたアトリエは「レオポルト通り38番地」ですが、現在は保険会社の大きなビルになっていて、住所もLeopoldstr. 36。ビルの前には「Walking Man」という巨大な像があります。

2013年ミュンヘン シュヴァービング


ショル兄妹の家のすぐ近く。大学とも近いです。


2013年ミュンヘン オデオン広場


地下鉄でOdeonsplatzまで戻り、ホーフガルテンへ。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

このホーフガルテンの中に白バラの記念碑があると知り、見に行ったわけですが、広い庭園内のどのへんにあるのかはわからなかったので、とりあえず歩いてみました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

園内の大きな道は人が通れる程度に除雪されていましたが、大部分は雪が積もったまま。歩くのがやっとで記念碑を探すどころではなく、気づいたら日が暮れてきてこの日は見つけられないままホテルへ戻りました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン


ベンチの背もたれにのっていた雪だるま。ちょっと癒されました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

後日、再トライ。わりとすぐに見つかりました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

が、書かれている文字がうまく写真に撮れず、一番下のDie Weisse Rose 1943だけなんとか見えるように写したのが限界でした。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

反対側は7月20日事件についてのようですが、これもほとんど見えなくて・・・。

2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場
  2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場

さらに別の日、ナチズム犠牲者の広場へ。なんと工事中。

2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場
  2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場

碑があるはずなのだが・・・とウロウロしてみたら見つかりました(雪に埋もれていたので掘り出しました)。

2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場
  2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場

ギリギリ、柵の外側。運がいいのか悪いのか。ショベルカーを背景にした、微妙な写真。

2013年ミュンヘン サルヴァトール通り
  2013年ミュンヘン サルヴァトール通り

将軍堂まで戻ってマリエン広場方面へ歩いていたらSalvatorstr.の標識を見つけたので入ってみました。

2013年ミュンヘン サルヴァトール通り
  2013年ミュンヘン サルヴァトール通り

サルヴァトール通りは、1943年2月にハンス、アレックス、ヴィリーが反ナチの落書きをしたとされる場所。他に落書きが発見されたのは、ルートヴィヒ通り、大学、アマーリエ通りとされていて「大学周辺」なのですが、ここはそれらとは少し離れています。
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2013年04月04日

ウルム旧市街とドナウ河畔

10数年前にも訪れたことがありますが、前回は4月下旬、今回は2月下旬。ミュンヘンほどの積雪ではなかったものの、このころ旅の疲れがピークでもう歩き回る気力もなく、「とりあえず大聖堂まで行ってこよう」くらいのテンションの低さでした。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

大聖堂広場は市場のようになっていて、いろんなお店が開店準備をしていました。
裏側に回ると工事中で囲いがあり、何だか近づけない雰囲気。このまま帰るのも何だなぁと、大聖堂近くの道を適当に歩き始めました。

2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街

ミュンヘンではほとんど見かけない木組みの家があります。突き出ている箇所は、荷物を滑車で持ち上げるヤツかしら?

2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街

ウルム市市庁舎

2013年ウルム 旧市街

ナニコレ?と思いながら撮った一枚。帰国後に調べたら、噴水でした。冬だから塞がれていたのか、工事中だったのか、不明。

2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街

「肉屋の塔」の方へ下っていき、城壁?をくぐるとドナウ川。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

インゲ・ショルが語った、「夕食後の散歩」のことを思い出していました。
 我が家ではよく夕食後一緒に散歩に出かけました。好んで散歩したのは、ドナウ河畔でした。ハンスがまだ釈放されずにいたころ、私たち姉妹はよく父と一緒に散歩に出かけました。父が私たちの逮捕にかなりのショックを受けていたことに、私は気づいていました。
 ある晩、父は、今まで胸にたまっていたことを、全部はきだしました。私たちは父と腕を組んで歩いていましたが、父は私の腕を自分の方に引きよせると、こう言ったのです。「もし、やつらがわたしの子どもたちに危害を加えるようなことがあれば、わたしはベルリンに行って、やつを撃ち殺してやる」やつというのは、ヒトラーのことです。
 のち、ハンスとゾフィーがすでに処刑され、私たち残った者も再び拘禁された時に、私は思ったものです──ベルリンに行って、自分の子どもたちに危害を加えた人間を撃ち殺すなんて、そう簡単にはできないものだ、と。みんな、なんと無力だったことでしょう。しかし父はこう口に出して言ってくれたのです。

ヘルマン・フィンケ『白バラが紅く散るとき』
ハンスが拘留中だから、おそらく1937年12月頃の出来事。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

12月の夕食後って、かなり暗かったのでは。
今回と、10数年前の、12月のウィーンでも見ましたが、零下でも雪が降ってても子ども連れで外出する人、多いですね。ベビーカーというより「乳母車」と言いたくなるようながっしりしたヤツに、スキーウェアみたいなの着せた赤ちゃんを乗せて。雪対策万全の乳母車、いろんな種類があったということは、天候関係なく家族で外出って普通なのでしょうね。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

観光案内板。「白バラ」の常設展示があるとのことなので行ってみましたが、建物(の入り口)がよくわからず、次回行くことにして駅へ戻りました。

2013年ウルム 旧市街

雪のちらつくウルム中央駅。ミュンヘンではなく、シュトゥットガルトへ。ずっと雪景色だったのに、山を越えたら青空と緑!

2013年ウルム ウルム−シュトゥットガルト

そんな高い山には思えなかったのですが、全然違う景色に驚きました。そして、またインゲ・ショルの、1937年11月の話を思い出しました。
しかし母の抗議にもかかわらず、ゾフィー、ヴェルナーと私は連行され、市内の拘置所に入れられました。ハンスはこの時すでに軍隊に入っており、兵舎で逮捕されました。私たちは、まる一日拘置所にとめおかれました。もちろん別々にです。あとで、ゾフィーがすぐに釈放されたことを知りました。ゲシュタポは、ゾフィーを男の子とまちがえて一緒に連行してしまったのでした。
 ヴェルナーと私は、この記念すべき日の夜、幌なしトラックで、できたばかりのアウトバーンをウルムからシュツットガルトへと運ばれていきました。かなりひどい走行でした。私たちは、同じように逮捕された少年たちと一緒に、吹雪の中、ガタガタふるえながら風の吹きすさぶシュヴァーヴェンアルプスを越えて行きました。

ヘルマン・フィンケ『白バラが紅く散るとき』

幌なしトラックで吹雪の中を・・・!
初めて読んだときも、10代の少年たちにも容赦ないこの扱いに怒りだか恐怖だかで震えましたが、暖房の効いた快適なICE1等車の座席で何故か寒さを感じて本気で震えました。
posted by くみ at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュンヘン 2013年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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