2006年04月22日

パウラ・モーダーゾーン=ベッカー展へ行ってきました

宇都宮の栃木県立美術館にて2006年5月28日(日)まで。

写真(たいしたものではありませんが)を2006年03月18日の記事に追記として載せてあります。

その追記にも書きましたが、ゾフィー・ショルは1939年8月にヴォルプスヴェーデでパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの作品を見ています。ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まる数週間前のことです。『白バラの声 ショル兄妹の手紙』(インゲ・イェンス編/山下公子訳/新曜社/1985)にその作品との出会いについて書かれた手紙がありますので、少し長いですが、その部分を下に書かせて頂きました。

『白バラの声』より引用:
 1939年夏ソフィー・ショルとフリッツ・ハルトナーゲルはユーゴスラヴィアに行く計画を立てていた。しかし、通貨交換禁止と戦争前数ヶ月にわたって行われた青少年の出国禁止のためにあきらめなければならなかった。

(略)

 南方ユーゴスラヴィアの代わりに、二人は北に向かうことを急いで決めた。まず、東海沿岸のハイリゲンファーフェンに。次に北海に、そして最後にヴォルプスヴェーデに向かったのである。ヴォルプスヴェーデはブレーメンから遠からぬ地にある芸術家村で、その前年ソフィー・ショルはすでに幾日かそこに滞在しており、その折、姉インゲとともに、マンフレート・ハウスマン、ヴィルヘルム・シャルレマン、マルタ・フォーゲラーおよびクララ・ヴェストホフ=リルケの知遇を得ていた。今回ソフィーは女流画家パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの作品とはじめて出会うことになった。

ヴォルプスヴェーデ発、姉インゲ宛 1939年8月9日
[・・・]もう何度もフォーゲラー夫人の織物工房に伺ったのよ。とっても優しい人でね、来たい時はいつでもどうぞって言ってくれるの。とても面白いわよ。家具とか絵とか布とか珍しいものがたくさんあって。それに棚いっぱいフォーゲラーのデッサンもあるし。だけど去年みたいに、フォーゲラーの絵がすごくいいとは思えないの。むしろパウラ・モーダーゾーンに夢中になっています。本当にすばらしい絵よ。女の人なのに、信じられないくらい自分らしい仕事をしてる人で、絵だって誰かの影響の跡が顕著であるってことが全然ないの。姉さんもありったけ見なきゃだめよ。彼女の絵を見たら、飾ってある他の人の作品はみんなつまらないわ。(略)

 フリッツ・ハルトナーゲルが所属部隊に帰還した後、ソフィーはヴォルプスヴェーデのユースホステルで不愉快な事件に巻き込まれ、当初の予定を切り上げて早く帰ろうという気持ちは動かしがたいものになった。

ヴォルプスヴェーデ・ユースホステル発、フリッツ・ハルトナーゲル宛 1939年8月
フリッツ
 ご本二冊お返しします。ハンスペーターのもね。もう、ちょっと読んでられないから。私たちがよそへ行っている間に、私が使ってたベットに知らない男の人が寝てね、そこにあった本もみんな見ちゃったんだって。その男の人はハンスペーターの本をすぐに警察に持っていって私たちのことを訴えてやるって言ったんですって。オェトケンの奥さんがなんとかそれはやめさせたの。私たちはお客なんだからって。でも、オェトケンさんたちがどういう人だか知ってるでしょ。今度は自分で私の本のこと気にしはじめてひどく疑るのよ。まあいいわ、明日には出発するんだから。(略)


注によると、ハンスペーターとは、ショル家と親しいシュトゥットガルトの医師ネーゲレ家の長男。ネーゲレ家には子どもが5人おり、ショル家の5人の子どもとさまざまな形で交際があった。ハンスペーターはハンスおよびヴェルナー・ショルと同様、非合法の青年団d.j.1.11に加わっていた。彼はイギリスの作家、J.M.バリの『ピーター・パン』を新しく翻訳し、出版する計画を立てていて、その挿絵をゾフィーに描くよう依頼していた。『ゾフィー21歳』(ヘルマン・フィンケ/若林ひとみ訳/草風館/1982)には「おそらくは『ピーターパン』につけられたゾフィーの挿絵(1940年もしくは41年)」という絵が載っている。


posted by くみ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 企画展、映画祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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