2013年05月12日

ペルラッハ・フォルスト墓地(2)

(1)で開閉門時間の写真を載せましたが、ペルラッハ・フォルスト墓地の案内ページにもありました。

Die Friedhofstore sind geöffnet:
November bis Februar  8 bis 17 Uhr
März                           8 bis 18 Uhr
April bis August           8 bis 20 Uhr
September bis Oktober 8 bis 19 Uhr

白バラについてのページもあり、墓所番地はこちらで確認できます。

Sophie Scholl
     Grab 73-1-18/19
Hans Scholl
     Grab 73-1-18/19
Christoph Probst
     Grab 73-1-18/19
Alexander Schmorell
     Grab 76-1-26
Hans Leipelt
     Ehrenhain II
Harald Dohrn
     Grab 77-1-115
Hans Quecke
     Grab 77-1-116


ということで、73番を目指して歩き始めました。
2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

だいぶ歩いたところで、墓地内にあるホールが右手に見えてきました。
さらに歩いてやっと22番の区画の目印が。ここでもまだ半分の地点。ここから道が細く分かれるのでかなり不安でした。雪が積もっていて区画目印が埋もれていたりするから怖ろしい。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  

となりの72番を見つけられて、迷ってなかった・・・・・とホッとしました(遭難は回避できた!とか)。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

73番の目印よりも先に、大きな花輪が目に入り、3人のお墓に無事たどり着けたことがわかりました。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

この花輪は彼らの命日2月22日だから飾られていたのだと思います(アレックスのお墓にはありませんでした)。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

墓碑。左から、ショル兄妹の父親ローベルト、ハンス、ゾフィー、母親マグダレーネ、クリストフ・プロープスト、クリストフの母親カタリーナ。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

ハンス、ゾフィーのお墓とクリストフのお墓。上記白バラについてのページによると、この十字架のお墓は1992年にショル兄妹の友人オトル・アイヒャー(ショル兄妹の長姉インゲ・ショルの夫)が作ったそうです。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst


2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

ハンス達のお墓をあとにして、76番の区画にあるアレックスのお墓へ。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

花輪はありませんでしたが、新しい花がたくさん置かれていたのですぐに見つかりました。墓石にはロシア正教の十字架が。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst


道は除雪されていますが、お墓の部分はかなり雪が積もっているため、お墓を踏んでしまいそうで墓石にはまったく近づけません。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

アレックスのお墓の次に、今度はクリストフの義父(妻ヘルタ・ドールンの父)ハラルト・ドールンのお墓へ。このあたりの区画は通路からお墓まで少し距離があったり2列になっていたりして、アレックスのお墓以上に「遠い・・・」と感じました。区画77番を目指して歩きながらも、「2列目だったりしたら見つけられないかも知れない」と思っていました。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

77番の目印。やはり通路からは遠かったけれど1列だったので、ズームで写真を撮って名前を確認。ハラルト・ドールン(左)とHans Quecke(右)が並んでいました。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

終戦間際の1945年4月29日に処刑された二人。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

ハンス・ライペルトのお墓が見つけられなかったのが残念でした。雪のない季節に来たときにはもう少し頑張ってみるつもりです。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

入ってきた門まで、また延々と歩きました。私が墓地にいたのは8:20頃から1時間ほどですが、その間に見かけたのは管理事務所の職員と思われる人3〜4人と、一般の方と思われる人が1人だけでした。ショル兄妹とクリストフが処刑された17:00頃には、もしかしたら多くの人が集まってきたのかも知れません。
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2013年04月29日

ペルラッハ・フォルスト墓地(1)

2013年2月22日(金)、ミュンヘン東駅で柵を見たあと、S-Bahn(S3)でGiesingまで行き、路面電車トラム17に乗り換えて終点Schwanseestraßeへ。

2013年ミュンヘン 路線図  2013年ミュンヘン 路線図

路線図2種類。左は東駅OstbahnhofからSchwanseestraßeまでを、右はGiesingからSchwanseestraßeまでとペルラッハ・フォルスト墓地Friedhof am Perlacher Forstを確認できます。
(トラム17はミュンヘン中央駅とカールスプラッツを通る路線なので、中心部からは乗り換えなしでSchwanseestraßeまで行くことができます。)

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

SchwanseestraßeとStadelheimer Straßeの交差点。右の路線図でもわかりますが、この墓地のとなりにはシュターデルハイム刑務所があります。彼らはここで処刑され、となりの墓地に埋葬されたわけですね。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

路面電車の停留所から一番近い入り口。月によって違う開門時間が細かく書いてあります。11月から2月は8:00-17:00。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst
  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

墓地内の案内図(左上の赤い矢印が現在地)。埋葬されている著名人とその墓所番地リスト。
クリストフ・プロープスト、アレクサンダー・シュモレル、ハンス・ショル、ゾフィー・ショル、ハンス・ライペルト、ハラルト・ドールン、Hans Queckeの名前があります。ハラルト・ドールンはクリストフ・プロープストの義父で、「1945年4月29日、連合軍がミュンヒェンを占領する数時間前、百五十人の政治犯と共に、ペルラッハの森で銃殺された」(山下公子『ミュンヒェンの白いばら』筑摩書房、1988)。Hans Queckeとハラルト・ドールンは義理の兄弟で、彼も白バラに関係していたそうです。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst  2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

反ナチス抵抗運動グループ「白バラ」関係者であるゾフィー・ショル、ハンス・ショル、クリストフ・プロープスト、アレクサンダー・シュモレル、ハラルト・ドールン、Hans Queckeのお墓の場所は、すぐに見つけられるよう黄色い丸印がつけられていました(雪が降る中、墓地の端から端まで歩かねばならないことが判明して一瞬、目眩が・・・)。感謝。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst


案内図の向かい側にあった、赤いガラス容器入りロウソクの販売機。カメラのシャッターを押したあとは素早く手袋をしないと指が動かなくなるほどの寒さだったので、小銭を取り出して投入、は無理でした。夏シーズンに来ることがあれば、そのときには買ってみます。

2013年ミュンヘン Friedhof am Perlacher Forst

ということで、遙か彼方にあるハンスたちのお墓を目指して歩き始めました。

写真が多いので分割します。続きは(2)で。
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2013年04月23日

2013年2月20日(水) ミュンヘン東駅の新聞記事

2月20日の新聞に、1942年7月23日にミュンヘン東駅で写された写真が載っていました。

2013年ミュンヘン 東駅新聞記事  2013年ミュンヘン 東駅新聞記事

東部戦線へ出発する学生中隊と見送りのゾフィー・ショル。この写真の場面は、映画『白バラは死なず』でも同じ構図で使われていました。ゾフィーの着ているカーディガンが明るい色(たしか水色)で、「えっそうなの?」と思ったのでよく覚えています。

2013年ミュンヘン 東駅新聞記事

記事の内容はわかりませんでしたが、下に載っていた、現在の同じ場所の写真を見て、この柵がまだあることを知り、行ってみることにしました。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

2013年2月22日(金)、朝7時過ぎのミュンヘン東駅、Orleansstraße。毎日雪が降っていて、朝は特に寒かったです。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

線路沿いを歩いていると広い駐車場が現れ、その出入り口を通りすぎたところからあの柵が始まりました。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

この駐車場と柵、数百メートルも続いていて、とても場所まではわからないなーと思っていたら、白バラが飾られ(?)ている柵を見つけました。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

向かい側を見ると記事にあった水色の建物があり、ここが、あの写真が撮られた場所らしいことが判りました。

2013年ミュンヘン 東駅
  2013年ミュンヘン 東駅

ご覧の通り、色が違うだけで似たような建物がずっと続いているので、あの白バラに気づかなければ、記事の写真に映っていた向かいの建物から場所を特定するなんて考えもしなかったと思います。感謝。

2013年ミュンヘン 東駅  2013年ミュンヘン 東駅

数時間後のミュンヘン東駅ホーム。車内から撮ったため、思いっきりカメラと手が映り込んでますが。Orleansstraße側を写したもの。
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2013年04月19日

2013年2月20日のニュース番組

2月20日の夜、ミュンヘンローカル局と思われるチャンネルを見ていたら、また白バラについてのニュースがありました。

2013年ミュンヘン ニュース番組  2013年ミュンヘン ニュース番組

映画『白バラの祈り』でゾフィーを演じたユリア・イェンチ。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

しかも人形。何のニュースだ?とドイツ語ニュースを必死で聞いていたところ、「ベルリンのマダム・タッソー」というのだけ聞き取れました。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

左は、ミュンヘン大学のリヒトホーフ(工事中で立ち入り禁止だったはずなのに。もしかして見学できたの??)。右はおそらく、2月18日の白バラ記念館の様子。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

マダム・タッソー・ベルリン:歴史上の人物

確かにこの人形はマダム・タッソー・ベルリンで展示されているようですね。全然知りませんでした。「Sophie Scholl」となってるけど「ユリア・イェンチ@『白バラの祈り』」でしょっていうツッコミを、ちょっとだけ入れたくなりましたが、いやいや、これは嬉しいです。今度ベルリンへ行ったら見に行きます。

で、その人形がベルリンからミュンヘンに出張してきたというニュースだったのかどうか、そこまではわかりませんでした。

この記事をUPするためにいろいろ調べていたら、2013年3月15日、東京お台場にマダム・タッソー東京がオープンしたことを知りました。東京の方にはこのゾフィー人形、99%ないと思いますが。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

ショル兄妹広場にあるビラの記念碑。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

左は、ハンス、ゾフィー、クリストフの起訴状でしょうか。右は白バラ記念館にあるゾフィーの像。

2013年ミュンヘン ニュース番組


同じく記念館内部。右側に展示パネルが見えます。左側のガラス棚に、各国で出版された白バラ本が展示してありました。

2013年ミュンヘン ニュース番組
  2013年ミュンヘン ニュース番組

2月21日の新聞。右の新聞記事の内容は下記で読むことができます。

WELT紙:2013年2月21日 Weiße Rose: Vor 70 Jahren wurden die Geschwister Scholl in Stadelheim getötet

同じ2月21日の新聞記事。
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2013年04月16日

モニュメントなど

フランツ・ヨーゼフ通りにあるショル兄妹が(1942年の6月から、翌年2月に逮捕・処刑されるまで)住んでいた家を見に行きました。

2013年ミュンヘン シュヴァービング  2013年ミュンヘン シュヴァービング

Giselastr.駅で地下鉄を降り、レオポルト通りからフランツ・ヨーゼフ通りに入って少し歩いたところにあります。

2013年ミュンヘン シュヴァービング  2013年ミュンヘン シュヴァービング

住所はFranz-Joseph-Straße 13で、確かにここなのですが、彼らが住んでいたのはこの建物ではなく、この建物の裏というか後ろ側にある家のようです。この、通り側の建物入り口には「ショル兄妹が住んでいた」という碑があります(かなり高いところにあるので、普通に歩いていたのでは視界に入らず通り過ぎてしまうと思います)。

2013年ミュンヘン シュヴァービング
  2013年ミュンヘン シュヴァービング

次に、来た道を戻って、建築家アーケマイヤーのアトリエがあったレオポルト通りへ。白バラの学生たちが読書会や討論会に使い、その地下室でビラ製作をしたアトリエは「レオポルト通り38番地」ですが、現在は保険会社の大きなビルになっていて、住所もLeopoldstr. 36。ビルの前には「Walking Man」という巨大な像があります。

2013年ミュンヘン シュヴァービング


ショル兄妹の家のすぐ近く。大学とも近いです。


2013年ミュンヘン オデオン広場


地下鉄でOdeonsplatzまで戻り、ホーフガルテンへ。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

このホーフガルテンの中に白バラの記念碑があると知り、見に行ったわけですが、広い庭園内のどのへんにあるのかはわからなかったので、とりあえず歩いてみました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

園内の大きな道は人が通れる程度に除雪されていましたが、大部分は雪が積もったまま。歩くのがやっとで記念碑を探すどころではなく、気づいたら日が暮れてきてこの日は見つけられないままホテルへ戻りました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン


ベンチの背もたれにのっていた雪だるま。ちょっと癒されました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

後日、再トライ。わりとすぐに見つかりました。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

が、書かれている文字がうまく写真に撮れず、一番下のDie Weisse Rose 1943だけなんとか見えるように写したのが限界でした。

2013年ミュンヘン ホーフガルテン
  2013年ミュンヘン ホーフガルテン

反対側は7月20日事件についてのようですが、これもほとんど見えなくて・・・。

2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場
  2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場

さらに別の日、ナチズム犠牲者の広場へ。なんと工事中。

2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場
  2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場

碑があるはずなのだが・・・とウロウロしてみたら見つかりました(雪に埋もれていたので掘り出しました)。

2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場
  2013年ミュンヘン ナチズム犠牲者の広場

ギリギリ、柵の外側。運がいいのか悪いのか。ショベルカーを背景にした、微妙な写真。

2013年ミュンヘン サルヴァトール通り
  2013年ミュンヘン サルヴァトール通り

将軍堂まで戻ってマリエン広場方面へ歩いていたらSalvatorstr.の標識を見つけたので入ってみました。

2013年ミュンヘン サルヴァトール通り
  2013年ミュンヘン サルヴァトール通り

サルヴァトール通りは、1943年2月にハンス、アレックス、ヴィリーが反ナチの落書きをしたとされる場所。他に落書きが発見されたのは、ルートヴィヒ通り、大学、アマーリエ通りとされていて「大学周辺」なのですが、ここはそれらとは少し離れています。
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2013年04月04日

ウルム旧市街とドナウ河畔

10数年前にも訪れたことがありますが、前回は4月下旬、今回は2月下旬。ミュンヘンほどの積雪ではなかったものの、このころ旅の疲れがピークでもう歩き回る気力もなく、「とりあえず大聖堂まで行ってこよう」くらいのテンションの低さでした。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

大聖堂広場は市場のようになっていて、いろんなお店が開店準備をしていました。
裏側に回ると工事中で囲いがあり、何だか近づけない雰囲気。このまま帰るのも何だなぁと、大聖堂近くの道を適当に歩き始めました。

2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街

ミュンヘンではほとんど見かけない木組みの家があります。突き出ている箇所は、荷物を滑車で持ち上げるヤツかしら?

2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街

ウルム市市庁舎

2013年ウルム 旧市街

ナニコレ?と思いながら撮った一枚。帰国後に調べたら、噴水でした。冬だから塞がれていたのか、工事中だったのか、不明。

2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街 2013年ウルム 旧市街

「肉屋の塔」の方へ下っていき、城壁?をくぐるとドナウ川。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

インゲ・ショルが語った、「夕食後の散歩」のことを思い出していました。
 我が家ではよく夕食後一緒に散歩に出かけました。好んで散歩したのは、ドナウ河畔でした。ハンスがまだ釈放されずにいたころ、私たち姉妹はよく父と一緒に散歩に出かけました。父が私たちの逮捕にかなりのショックを受けていたことに、私は気づいていました。
 ある晩、父は、今まで胸にたまっていたことを、全部はきだしました。私たちは父と腕を組んで歩いていましたが、父は私の腕を自分の方に引きよせると、こう言ったのです。「もし、やつらがわたしの子どもたちに危害を加えるようなことがあれば、わたしはベルリンに行って、やつを撃ち殺してやる」やつというのは、ヒトラーのことです。
 のち、ハンスとゾフィーがすでに処刑され、私たち残った者も再び拘禁された時に、私は思ったものです──ベルリンに行って、自分の子どもたちに危害を加えた人間を撃ち殺すなんて、そう簡単にはできないものだ、と。みんな、なんと無力だったことでしょう。しかし父はこう口に出して言ってくれたのです。

ヘルマン・フィンケ『白バラが紅く散るとき』
ハンスが拘留中だから、おそらく1937年12月頃の出来事。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

12月の夕食後って、かなり暗かったのでは。
今回と、10数年前の、12月のウィーンでも見ましたが、零下でも雪が降ってても子ども連れで外出する人、多いですね。ベビーカーというより「乳母車」と言いたくなるようながっしりしたヤツに、スキーウェアみたいなの着せた赤ちゃんを乗せて。雪対策万全の乳母車、いろんな種類があったということは、天候関係なく家族で外出って普通なのでしょうね。

2013年ウルム 旧市街  2013年ウルム 旧市街

観光案内板。「白バラ」の常設展示があるとのことなので行ってみましたが、建物(の入り口)がよくわからず、次回行くことにして駅へ戻りました。

2013年ウルム 旧市街

雪のちらつくウルム中央駅。ミュンヘンではなく、シュトゥットガルトへ。ずっと雪景色だったのに、山を越えたら青空と緑!

2013年ウルム ウルム−シュトゥットガルト

そんな高い山には思えなかったのですが、全然違う景色に驚きました。そして、またインゲ・ショルの、1937年11月の話を思い出しました。
しかし母の抗議にもかかわらず、ゾフィー、ヴェルナーと私は連行され、市内の拘置所に入れられました。ハンスはこの時すでに軍隊に入っており、兵舎で逮捕されました。私たちは、まる一日拘置所にとめおかれました。もちろん別々にです。あとで、ゾフィーがすぐに釈放されたことを知りました。ゲシュタポは、ゾフィーを男の子とまちがえて一緒に連行してしまったのでした。
 ヴェルナーと私は、この記念すべき日の夜、幌なしトラックで、できたばかりのアウトバーンをウルムからシュツットガルトへと運ばれていきました。かなりひどい走行でした。私たちは、同じように逮捕された少年たちと一緒に、吹雪の中、ガタガタふるえながら風の吹きすさぶシュヴァーヴェンアルプスを越えて行きました。

ヘルマン・フィンケ『白バラが紅く散るとき』

幌なしトラックで吹雪の中を・・・!
初めて読んだときも、10代の少年たちにも容赦ないこの扱いに怒りだか恐怖だかで震えましたが、暖房の効いた快適なICE1等車の座席で何故か寒さを感じて本気で震えました。
posted by くみ at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュンヘン 2013年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月28日

ドキュメンタリー Die Widerständigen

2月18日の夜、ニュース番組で式典の様子が流れたのを見て、「新聞にも記事が載るのでは」と思い、翌朝、駅で新聞を買って確認しました。小さな扱いでも何かしら載っていたとは思うのですが、残念ながら私には見つけることはできませんでした。何回か目を通して諦めかけたとき、見覚えのある写真が目に入りました。

2013年ミュンヘン ドキュメンタリー  2013年ミュンヘン ドキュメンタリー

トラウテ・ラフレンツ!!
右は別な新聞(?)に載っていたもの。ゾフィー・ショルの姉エリーザベト。

「22:45から白バラについてのドキュメンタリーフィルムを放送します」という広告であることは理解できたので、夜、うっかり寝てしまわないようアラームをセットしつつ、TVの前で放送を待ちました。

Die Widerständigen
Zeugen der Weißen Rose
監督:Katrin Seybold、制作国:ドイツ、2008年


見るだけのつもりだったのに、始まって10分もしないうちにカメラでTV画面を撮り始め、エンドロールまで1時間以上撮り続けてしまいました。白バラ関係者のインタビューと当時の写真が次々に映し出され、画面が切り替わるたびにシャッターを押していたせいで、数えたら500枚以上も。ここでご紹介しようかと考えていたのですが、TV画面そのままというのは問題がありますし、どうまとめても100枚以上になってしまうしで、UPするのは断念しました。

2013年ミュンヘン ドキュメンタリー  2013年ミュンヘン ドキュメンタリー

そのエンドロールだけ・・・
右は、インタビュー映像があった14人の名前。

Traute Lafrenz-Page 「ハンス・ショルの友人」
Jürgen Wittenstein 「ミュンヘンの友人」
Herta Siebler-Probst 「クリストフ・プロープスト夫人」
Franz J. Müller 「ウルムの友人」
Elisabeth Hartnagel 「ハンスとゾフィーの姉妹」
Susanne Zeller-Hirzel 「ウルムの友人」
Dieter Sasse  「クリストフ・プロープストの異父弟」
Lilo Fürst-Ramdohr 「アレクサンダー・シュモレルの友人」
Erich Schmorell 「アレクサンダー・シュモレルの異母弟」
Anneliese Knoop-Graf 「ヴィリー・グラーフの妹」
Hans Hirzel 「ウルムの友人」
Birgit Weiß-Huber 「クルト・フーバー教授の娘」
Nikolay Hamazaspian 「アレクサンダー・シュモレルの友人」
Heiner Guter 「ウルムの友人」

Nikolay Hamazaspianは、ショル兄妹逮捕後に、自分の古いパスポートをアレックスに渡して逃亡を助けた人ですね。


番組終了直後、翌日放送の映画のCMが。

2013年ミュンヘン ドキュメンタリー

パーシー・アドロン『最後の5日間』!!

翌日も写真撮りまくりでした。
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2013年03月23日

ミュンヘン地方裁判所

中央駅の方からPrielmayerstr.をKarlspl.の方へ歩いて行くと最初に茶色の建物が見えてきます。

2013年ミュンヘン 裁判所  2013年ミュンヘン 裁判所  2013年ミュンヘン 裁判所

こちらは高等裁判所とのこと。このすぐ隣の白っぽい建物が現在の地方裁判所。

2013年ミュンヘン 裁判所

1943年2月22日にショル兄妹とクリストフ・プロープストの、4月19日にアレクサンダー・シュモレル、ヴィリー・グラーフ他、多くの白バラ関係者たちの裁判が行われた「民族裁判所」。空爆で破壊されなかったか、あるいは戦後に元の姿に修復したのか、戦前の写真と比べてみても外観はほとんど同じです。

http://www.justiz.bayern.de/gericht/lg/m1/

入り口前にはドイツとバイエルン州の旗がありました。

私は入りませんでしたが、館内は見学でき、白バラの裁判が開かれた法廷も見学できるそうです。

2013年ミュンヘン 裁判所  2013年ミュンヘン 裁判所

天秤を持つユスティティアの像。右は、Karlspl.側の写真。建物の正面としてはこちら側になるのかな。バイエルン州法務省(Bayerisches Staatsministerium der Justiz und für Verbraucherschutz)だそうです。

2013年ミュンヘン 裁判所

上は、2月22日に撮った写真。ドイツとバイエルン州の旗が、半旗になってました。白バラと関係があるのかはわかりませんが、ちょうどショル兄妹とクリストフのお墓へ行った帰りに見たので、私はふと、もしかしたらそうなのかも、と思いました。
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2013年03月20日

2013年2月18日 ショル兄妹広場

10時過ぎに、ビラの記念碑を撮ってから帰ろうと外に出たところ、TV局の取材らしき方々を見かけました。

2013年ミュンヘン 白バラ70年

ショル兄妹逮捕から70年だからニュース用の映像を集めているのかなと眺めているうちに、広場に人が集まってきました。

2013年ミュンヘン 白バラ70年  2013年ミュンヘン 白バラ70年

何か催しがあるらしいと聞いていたので「これがそうなのか?」としばらく広場をウロウロしながら様子見。

2013年ミュンヘン 白バラ70年  2013年ミュンヘン 白バラ70年

まもなく、司会の方がマイクを持って話を始め、式が始まりました。
集まってきた方たちのうち、私より年下と思われるのは5人もいなかったような。みな年配の方ばかりで、大学構内へと入っていく学生さんはこちらをちらっと見る程度でした。

2013年ミュンヘン 白バラ70年
  2013年ミュンヘン 白バラ70年

通りかかった学生さんの中には近くまで見に来たりする人も何人かいましたが、だいたい最初から最後までこのような感じ。カメラさんたちは位置を変えながらずっと忙しく働いてました。

2013年ミュンヘン 白バラ70年
  2013年ミュンヘン 白バラ70年

司会の方のお話のあと、数人の方がスピーチ。ドイツ語なので、固有名詞くらいしか拾えず。でも、処刑された学生たちだけでなく、カタリーナ・シュデコプフなどの、グループ周辺の人々、協力者たちの名前も聞き取れたので、かなり詳しく(当然ですが)、白バラと呼ばれるグループについて話していたようです。

2013年ミュンヘン 白バラ70年
  2013年ミュンヘン 白バラ70年

ショル兄妹広場は近所の方の通り道でもあるのか、小さいお子さんと散歩している人や犬を遊ばせている人がいたり。人がたくさん集まっているように見えますが、広場の、大学正面入り口前だけです。

2013年ミュンヘン 白バラ70年  2013年ミュンヘン 白バラ70年

右の写真の手前に、お一人だけ椅子に座られている方がいらっしゃいますが、私は式の途中からこの方のことが気になりだし、集中していないせいで固有名詞すら聞き取れなくなってしまいました。

2013年ミュンヘン 白バラ70年  2013年ミュンヘン 白バラ70年

広場遠景。全体像としてはこんな感じ。

2013年ミュンヘン 白バラ70年  2013年ミュンヘン 白バラ70年

椅子の女性、集まってきた人の中でもかなり高齢のようでした。白バラの学生と同世代の方かしら、とか。

2013年ミュンヘン 白バラ70年  2013年ミュンヘン 白バラ70年

白いバラを持って来ている方も。

2013年ミュンヘン 白バラ70年
  2013年ミュンヘン 白バラ70年

椅子の女性は、式が終わると大学構内へと入って行かれました。その際、TV局の方が取材していたので、本当に同時代の方、それも、遺族とか白バラ関係者本人だったのかもしれません(と勝手に思ってました)。

時間はだいたい1時間ほど。雪は降っていませんでしたが、途中で何度かくじけそうになるほど寒かったです。

一番最後の写真の中央に、オーボエ(だと思います)を吹いている男の人が映っていますが見えますでしょうか。彼は、式の最初と、途中、そして最後にもう1度、演奏してくれました。追悼とか哀悼という言葉が合うような、少し悲しい感じの曲でした。
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2013年03月18日

ミュンヘン大学 白バラ記念館

2013年2月18日(月)、9:30ミュンヘン大学着。

2013年ミュンヘン フーバー教授広場  2013年ミュンヘン ショル兄妹広場

フーバー教授広場とショル兄妹広場を撮ってから大学入り口に向かいました。

■白バラ記念館

2013年ミュンヘン 白バラ記念館

大学入り口に白バラ記念館の案内図と告知ポスター(?)。

2013年ミュンヘン 白バラ記念館  2013年ミュンヘン 白バラ記念館  2013年ミュンヘン 白バラ記念館

入り口が階段裏にあるからわかりにくいかも、ということで図があるのでしょうか。確かにこれがあれば迷うことはないですね。

2013年ミュンヘン 白バラ記念館

入り口の案内板。

2013年ミュンヘン 白バラ記念館

これは2/20再訪時に撮ったもの。反対側の出入り口のものかも・・・。

2013年ミュンヘン 白バラ記念館  2013年ミュンヘン 白バラ記念館

これも2/20撮影。ヴィリー・グラーフの言葉が入り口付近の講義室(?)ドア上に映し出されていました。

2013年ミュンヘン 白バラ記念館

入り口。写真撮影禁止のマークがあったので、内部の撮影は断念しました。
私が入る前、TVの取材などが行われていたらしく、中は人でいっぱい。入るのをためらっていると、学生さんらしき一団がどっと出て来たため、無事入室。この日は通常展示ではなく、パネルが壁側に寄せられ、中央にスペースがつくられていました。

パネルは日本での巡回展示でみていたので、ここでは眺めるだけにして(ドイツ語わからないし)、その他の展示を中心に見て回りました。
  • ヴィリーが持っていた十字架
  • 日本、中国など、各国で出版された白バラの本
  • 手動タイプライター
白バラ本は、「ゾフィー21歳」「白バラの声」「ミュンヒェンの白いばら」「白バラ」。
展示室の奥の方には映像資料(関係者へのインタビュー)を見ることができる視聴機器もありました。

小学生くらいの団体さんが入ってきたので、反対側のドアから退出。

2013年ミュンヘン 白バラ記念館

写真は、床に座ってお話が始まるのを待っているところ?

2013年ミュンヘン LMU  2013年ミュンヘン LMU

リヒトホーフは工事中でした。一応、階段を上がってみましたが、ガッチリ塞がれてました。


■ショル兄妹広場のビラ記念碑

2013年ミュンヘン ショル兄妹広場  2013年ミュンヘン ショル兄妹広場

2/18に撮れたのは事情によりこの2枚くらい。

2013年ミュンヘン ショル兄妹広場  2013年ミュンヘン ショル兄妹広場

これらは2/20再訪時に撮ったもの。

2013年ミュンヘン ショル兄妹広場  2013年ミュンヘン ショル兄妹広場

基本、毎日雪でしたが、2/19からは毎晩結構降ったらしく、朝になると道路脇に除雪による雪山ができてました。ショル兄妹広場のビラ記念碑は、大学側が除雪してくれていたのでしょうか。全部ではなかったので、もしかしたら白バラ目当てで訪れた人が・・・?
おまけ:
posted by くみ at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | ミュンヘン 2013年2月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする